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2019年02月25日(月)10:17  [矢沢頼綱室・根井氏]
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[根井氏]

矢沢頼綱の室。
根井(ねい/ねのい)清雲むすめ。生没年、本名などは不明。

根井氏(禰々井氏)は真田家・矢沢家と同じく滋野氏の一族。
先祖は木曾義仲の家臣「根井行親」を称する。

なお矢沢頼綱には頼康(三十郎)、頼邦、むすめ(塔原幸貞室)があり、それぞれ生母は不明であるが、
「武家の嫡男は妾腹の生まれでも正室の子扱い」となるならわしなので、根井氏は少なくとも形の上では三十郎殿の母上ということになる。

何もかも不明なので、絵描きの趣味で巫女さん装束です。
本名も不明なので当店では「根井ねのいねい」というお名前であるという設定とさせて頂いております。


六連銭 天然石細身夫婦ブレスレット「矢沢頼綱公&根井氏」

【六文銭天然石ブレスレット「根井氏」(2,000円+税)】【缶バッチ「根井氏」(200円+税)】は限定生産のため通販フォームがありません。
通信販売をご希望の方は、メールまたはTwitter・Facebookからお問合せを御願いします。

2019年02月20日(水)14:43  [真田隠岐守信尹]
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真田さなだ隠岐守おきのかみ信尹のぶただ


生没:1547年?−1632年

真田幸隆の四男。
同母兄に信綱、昌輝、昌幸がいる。
妻は武田四天王の一人で、鬼美濃と呼ばれた馬場美濃守信春のむすめ
輩行名は源次郎。
長じて通称を市右衛門、諱を信昌と称する。

兄・昌幸まさゆきと同じく幼年期から武田家への人質とされ、甲府に出仕。
武田信玄の命により甲斐の旧族である加津野かつの昌世の養子となり、名門・加津野氏(表記は「和野」「鹿角」とも)の名跡を継いだ。
後、隠岐守の官途を自称、武田勝頼に近侍して槍奉行を務める。

元亀2年(1571年)1月、武田信玄が北条綱成の守る駿河深沢城を陥落させた際に、綱成が城内に放置した「黄八幡の旗指物」を奪い取るという功を上げる。
この指物は信玄により「武勇優れた北条左衛門大夫綱成にあやかるように」と下賜された。

天正10年(1582年)3月の武田家滅亡後に真田姓に復姓し、諱を「信尹」と改名する。

当初は北条氏に属したが、天正12年(1584年)から徳川家康に仕える。

昌幸が継いだ本家とは別行動を取るが、その状況下でも、昌幸に徳川方の情報を送り続けたとされる。

徳川家から5千石を与えられており、後に1万石に加増されたが、
「それだけの働きをしていない」
と称して牢人し、会津の蒲生氏郷に5000石で仕える。

氏郷死去に伴って起きた蒲生騒動(文禄4年/1595年)に伴い、蒲生家が減封(会津若松92万石→下野宇都宮12万石)されたこともあり、慶長3年(1598年)に再び徳川家康に帰参。甲斐で4000石を与えられる。

関ヶ原の戦い(慶長5年/1600年)、大坂の陣(慶長19年/1614年)で御使番・軍使として功績を挙げ、1200石を加増されて5200石になる。

一説に、大坂の陣のおりに甥に当たる真田信繁を「信濃で10万石(または40万石)」で徳川方へ誘ったが、一蹴されたとも。
また、討ち死にした信繁の首実検を行ったともされる。
なお、このとき「信繁かどうか判らない」と返答したという史料もある。

江戸時代には、幕臣として徳川家に仕え、寛永9年(1632年)5月4日に死去。享年86。
墓所は知行地であった山梨県北杜市長坂町長坂上条の龍岸寺。法名(戒名)は「徳盛院殿真田無済居士」

なお、生年は天文16年(1547年)とされているが、これは兄の真田昌幸と同年である。
二人が同母兄弟であることから、双子だったのではないかとも言われているが、定かではない。

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2019年02月18日(月)16:16  コーラルとターコイズのロングネックレス
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珊瑚とターコイズの、ちょっと長め(約50cm)なネックレス。
丸玉はスポンジ珊瑚、上部のビーズは赤珊瑚です。
ターコイズはブルー系のナゲットタイプ。大きさは1〜1.5cm。
銀製ビーズがアクセント。

チベット風デザインのハンドメイドです。
下っ端が作りました。自信作( ・ㅂ・)و
なのにデットストックになってしまったので、
価格を40,000円(税別)から半額の20,000円でご提供いたします(・_・、)

詳細はメール、ツイッターのDM、Facebookのメッセージ、
または店頭or外商中のテンチョウをひっつかまえて、
お問い合わせ下さい。


2019年02月14日(木)15:23  [真田左衛門佐信繁]
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真田左衛門佐信繁

 
真田昌幸の次男。母は山手殿。
姉は村松殿、兄は信之。弟に信勝、昌親。
妹に清陽院、清寿院、鎌原重春室、趙州院、清光院、於楽。
幼名は「弁(弁丸)」。輩行名は「源次郎」。
長じて、通称名を「左衛門佐」。諱を「信繁」。

生年は、享年を四十九歳とする説から逆算して永禄10年(1567年)とされている。
別に享年を四十六歳とする説があり、それに基づくと元亀元年(1570年)となる。
また、二男・大八(片倉守信)を家祖とする仙台真田家に残る記録に寄れば、誕生日は元亀元年2月2日(1570年3月8日)であるという。

主家であった武田家の滅亡後、上杉家へ人質として送られる.
後、豊臣秀吉の人質として大阪に移り、豊臣家家臣の大谷吉継の娘(竹林院)を正妻に迎える。

小田原征伐では忍城攻めに参加。文禄・慶長の役では肥前名護屋城に在陣。
関ヶ原合戦時には父と共に西軍に属し、上田城に籠もって徳川秀忠の大群を迎え撃ち、足止めすることに成功する(第二次上田合戦)。
しかし合戦自体は東軍勝利となったため、紀伊国九度山に配流となる。

14年間の蟄居の後、慶長19(1614)年に九度山を脱出。大坂城に入る。
三の丸外に出城「真田丸」を築き、徳川勢を知り怒ぞける活躍をする(大坂冬の陣)。

慶長20年5月7日(1615年6月3日)、大坂夏の陣では、家康本陣に突撃を敢行。
本陣は総崩れとなるも、突撃税も消耗し尽くし、安居神社(大阪市天王寺区)の境内で、西尾宗次討ち取られた。

なお現在「幸村」の名が広く知られているが、生前の史料でその名が使われている物はなく、諱(実名)は「信繁」が正しいとされる。

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