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2011年02月24日(木)17:38  村上義清
村上義清
文亀元年3月11日(1501年3月29日)〜元亀4年1月1日(1573年2月3日)
幼名は武王丸。
信濃埴科郡葛尾城主。
父は左衛門督村上顕国(頼平・頼衝)。
母は室町幕府三管領家斯波義寛の娘。
家臣の出浦国則の妻を乳母とする。
正室は信濃守護・小笠原長棟の娘。

文亀元年(1501年)3月11日、村上顕国の子として葛尾城に生まれる。
永正12年(1515年)3月15日、元服
永正14年(1517年)に、父より葛尾城を譲られ、永正17年(1520年)家督を相続。
一時、佐久郡武田氏に奪われるが、天文10年(1541年)、武田信虎諏訪頼重と結んだ海野平の戦いにおいて、海野棟綱真田幸隆らを駆逐して、小県郡を完全に掌握することに成功する。
また、信虎を追放した武田晴信武田信玄)の攻勢を受け、天文17年(1548年)、小県南部へ侵攻した武田勢を上田原の戦いで撃退する。
天文19年(1550年)、義清が高梨氏と戦闘するため本領を留守にした隙に、晴信(信玄)が小県の要衝砥石城に侵攻。
義清は高梨氏と和睦を結んで急遽反転。
これを知った晴信(信玄)が戦況不利を判断して退却を開始するも、義清は武田勢を追撃し、大勝をおさめた。
俗に言う「砥石崩れ」である。
しかし晴信(信玄)は真田幸隆に命じて村上方の武将の調略を開始。
砥石城の足軽大将矢沢頼綱(幸隆の弟。真田昌幸の叔父)が幸隆に内通していたことによって、天文20年(1551年)に砥石城を奪われる。
これにより義清の影響力は一気に低下。
家臣団の動揺は抑え難く、天文22年(1553年)、大須賀久兵衛が謀反。
室賀氏、屋代氏石川氏など村上方の諸将が相次いで武田氏に降伏。
義清は4月9日葛尾城を脱出するも、再度体勢を整え、4月22日には葛尾城を奪還。
武田晴信は5月11日に甲府へ引き上げた。

しかし晴信は7月25日に大軍を率いて甲府を出発。
抗戦能力の無くなった義清は長尾景虎上杉謙信)を頼って越後に落ち延びる。

その後、義清は根知城主となり、嫡男の国清とともに上杉家臣となる。
国清は謙信の猶子(相続権のない養子)に迎えられて山浦姓を名乗り(後、御館の乱の功績により、上杉景勝から一字を与えられて山浦景国)、上杉家第2位の地位を与えられている。
永禄4年(1561年)の第4次川中島の戦いにおいて、義清は武田信繁典厩殿)を討ち取ったという。

元亀4年(1573年)1月1日、越後根知城にて病死。享年73。
天正10年(1582年)に武田勝頼が自害し、甲斐武田氏は滅亡。
義清の嫡男・国清(山浦景国)は8月5日に海津城代に任命され、村上氏は旧領に復帰した。
(ただし、慶長3年(1598年)に景勝の会津移封に従って塩之森城代となった以降の消息は不明。一説に上杉家の米沢移封の際に出奔したとも)


2011年02月24日(木)17:38  諏訪頼重
諏訪頼重
永正13年(1516年)〜天文11年7月21日(1542年8月31日)
諏訪氏の第19代当主。諏訪頼隆の子。
幼名は宮増丸。別名は頼茂。
官位は左近大輔、刑部大輔
上原城城主。諏訪大社大祝。
武田信玄側室諏訪御料人(実名不詳。一説に『梅』。新田次郎の『武田信玄』では湖衣姫井上靖の『風林火山』では由布姫)」の父親であり、武田勝頼外祖父にあたる。

永正13年(1516年)、諏訪頼隆の嫡男として生まれる。
幼少時には諏訪大社の大祝(おおほうり:神社の大宮司位に就いて神社の持つ領地の総支配にあたる者。特に、諏訪大社の大祝は現人神のように崇められる特別な存在だった)を務めた。
天文8年(1539年)12月9日、父の死去に伴い、諏訪家の家督を継ぐ。
大祝職は弟の頼高が継いだ。
天文4年(1535年)に抗争関係にあった武田氏と和睦。
天文9年(1540年)11月、武田信虎の三女・禰々を娶る。
天文10年(1541年)5月13日には信虎・村上義清らと連携して小県郡に侵攻。5月23日には海野平合戦海野棟綱を破り、これを上野国追放
同年6月に甲斐では武田信虎が駿河へ追放され嫡男武田晴信信玄)が国主となり、信濃への侵攻を開始。
晴信は、諏訪惣領を志向する伊那郡高遠頼継ら反諏訪勢と手を結び諏訪郡への侵攻を行う。
上原城を攻められた頼重は7月に桑原城で降伏した。
頼重は弟の頼高と共に武田氏の本拠である甲府に連行される。東光寺に幽閉された後に自刃。弟・頼高も自刃したため、諏訪惣領家は滅亡した。

諏訪家は、信玄の四男で諏訪御料人との間に生まれた勝頼が諏訪姓を名乗り名跡を継いでいるが、これは名目的なものであると考えられており、系図類では歴代に数えられていない。
大祝職は頼重の叔父である諏訪満隣の家系の諏訪頼忠(頼重の従弟に当たる)が継承。
後、諏訪頼忠は初代諏訪藩主となり、四男の頼広の家系が大祝職を引き継いだ(諏方大祝家)。


2011年02月24日(木)17:37  小笠原長時
小笠原長時
永正11年10月23日(1514年11月9日)〜天正11年2月25日(1583年4月17日)
幼名:豊松丸、法号:湖雪斎(法号)
通称は又二郎、右馬助
官位は従五位上信濃守大膳大夫

信濃守護小笠原氏小笠原長棟の長男として生まれる。
長棟の出家に伴い、天文10年(1541年)に家督を継ぐ。

天文14年(1545年)に甲斐武田晴信信玄)が、諏訪頼継・藤沢頼親の討伐を行うため伊那郡へ出兵。
4月17日に高遠城を陥落させ、さらに福与城の頼親を攻める。
頼親は長時の娘婿でもあるため、長時は北方の龍ヶ崎城(現在の辰野町)に武田方を迎え撃つ。
武田勢は甲斐や今川北条の援軍を得て龍ヶ崎城を攻め、同年6月1日には武田家板垣信方の軍勢により龍ヶ崎城は陥落。長時は敗退する。

伊那を制圧した武田勢は、更に佐久へと侵攻。
しかし天文17年(1548年)2月に小県郡上田原(現上田市)で村上義清と激突(上田原の合戦)して撃破される。
そこで同年4月、長時は村上義清や仁科氏、藤沢頼親らと諏訪郡へ侵攻。
6月には諏訪西方衆らを迎合して攻め入る。そして、6月19日に塩尻峠へ進撃するが武田勢に敗退した。(塩尻峠の戦い

天文19年(1550年)7月15日、長時は本拠の林城も失い、信濃守護小笠原氏は没落した。
弘治元年(1555年)、同族の摂津国芥川城三好長慶を頼って上洛。
永禄6年(1564年)長慶が病死。長時は上杉氏のもとへ移る。
謙信死後は越後を離れて流浪。
後に会津の蘆名盛氏に客分として迎えれ、軍師として戦略面で盛氏を支援、厚遇される。
天正7年(1579年)、三男の貞慶へ家督を譲る。
貞慶は織田信長に仕えて関東における諸大名への対武田交渉を担当していた。
天正10年(1582年)、信長が武田氏を滅ぼすと、小笠原貞慶は旧領である信濃筑摩郡に所領を与えられた。
長時は天正11年(1583年)2月25日、客分のまま会津で病死。享年70。


2011年02月24日(木)17:36  真田昌幸
真田昌幸
天文16年(1547年)〜慶長16年6月4日(1611年7月13日)
官位:従五位下、安房守
真田幸隆の三男として生まれる。幼名源五郎」。
天文22年(1553年)、7歳で武田氏への人質として甲斐へ下り、武田晴信武田信玄)の奥近習衆に加わる。
永禄年間に信玄の母系・大井氏の支族である武藤家の養子となり、「武藤喜兵衛」と称する。
このころ足軽大将に任じられた。
永禄7年(1564年)頃に遠江の国人領主だった尾藤頼忠(後の宇多頼忠)の娘を妻(山手殿/山之手殿)に迎える。
山之手殿との間に源三郎信幸、源二郎信繁が生まれる。
なお長年、山之手殿は京都の公家菊亭晴季の娘とされてきたが、菊亭晴季の生年や昌幸の生年などを検証の結果から否定的見方がなされており、現在は頼忠の娘説、遠山右馬助の娘説など諸説がある。

天正2年(1574年)に父・幸隆が死去。
真田家の家督は長兄・信綱が継ぐ。
天正3年(1575年)、長篠の戦いで信綱と次兄・昌輝が討死したため、昌幸は真田姓に復して真田氏の家督を相続。
天正6年(1578年)、越後の上杉謙信死後に甲越同盟が成立すると、北条家の所領であった東上野の沼田領へ侵攻。沼田城名胡桃城などを奪取。
武田氏滅亡後、織田信長の家臣となり、織田氏の重臣・滝川一益の与力武将となった。
ところが従属から僅か3ヶ月後の天正10年(1582年)6月、本能寺の変で織田信長が横死
色々あって、北条氏直に臣従。
でも(青い狸がらみで)色々あって北条と手切れ。
沼田割譲とかなんとか問題が発生したので、越後の上杉景勝に臣従することに。

天正11年(1583年)、東信濃に松尾城城下町を築く。これが後の上田城と城下町上田である。

天正13年(1585年)、真田氏の制圧を狙った家康と氏直は鳥居元忠大久保忠世平岩親吉ら約7,000の兵力を昌幸の居城・上田城に、北条氏邦沼田城に侵攻させた(第一次上田合戦)。
昌幸はわずか2,000の兵力で徳川軍に大勝。
これを契機に真田氏は、武田の旧臣から信濃の独立勢力(大名)として認知されることとなる。
同年、次男の信繁(真田幸村)が上杉景勝の人質から、盟主である豊臣秀吉の人質として大坂に出仕し、昌幸は豊臣家に臣従する。

天正15年(1587年)に駿府で家康と会見。和睦が成立。
大坂で秀吉と謁見し名実ともに豊臣家臣とり、真田家徳川氏の与力大名となった。
このとき家康は昌幸の嫡男・信幸(真田信之)を高く評価。重臣の本多忠勝の娘・稲姫小松姫)を養女として信幸に娶らせた。
天正17年(1589年)、秀吉による沼田領問題の裁定が行われる。
沼田城を含む利根沼田の3分の2は後北条氏にのものとされ、真田氏の墓所があった名胡桃城を含む残り3分の1はそのまま真田領として安堵された。また、昌幸は代替地として伊那郡箕輪領を得た。
この頃昌幸は在京していたため、名胡桃城には鈴木重則城代として入る。
同年11月、沼田城代となった北条の猪俣邦憲が、重則の家臣を寝返らせて名胡桃城を奪取する。重則は城を奪われた自分のふがいなさを恥じ、正覚寺で自害。(名胡桃事件)
この一件が惣無事令に違反したものとされて秀吉の怒りを買い、翌天正18年(1590年)に小田原征伐小田原の役)が行われた。
後北条氏は滅亡。真田氏の沼田領が安堵され、名胡桃城は廃城となる。

文禄元年(1592年)、秀吉の朝鮮出兵文禄・慶長の役)に際しては肥前名護屋城に在陣。
慶長3年(1598年)8月18日、秀吉が没すると次第に家康が台頭。真田も徳川に従う。
慶長5年(1600年)7月、家康は出仕を拒否する上杉景勝に討伐軍を起こして関東へ下り、昌幸もこれに従っている。
家康不在を突いて石田三成が挙兵すると、昌幸はどちらに付くか下野犬伏で家族会議(一寸違う)を開く。
このとき、三成と姻戚関係であり、また次男・信繁も大谷吉継の娘を妻に迎えていることから、共に西軍に与し、上田城へ引き返す事を決める。
嫡男・信幸は東軍に付くとして、親子兄弟は両軍に別れて戦うこととなる。(犬伏の別れ)

徳川家康率いる東軍の先発隊は東海道を進んだが、徳川秀忠率いる3万8000人の軍勢は中山道を進んで西に向かった。
秀忠は上田に着くと開城を求めるが、昌幸は秀忠の「本隊」を足止めしようと、時間稼ぎに徹する。
秀忠は激怒し、家臣等が「無視して西へ進軍」することを勧めるも、上田城を攻略することを決意した。
戦端が開かれると、昌幸は僅か3500の兵力で徳川軍を翻弄。徳川方は混乱に陥って敗北する。
秀忠は上田城に押さえの兵を残して先を急ぐが、道中の悪天候も災いして、遂に9月15日の関ヶ原本戦に遅参するという大失態を犯した。(第二次上田合戦
その後、本戦での石田三成敗戦の報(関ヶ原の戦い:慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日))が届いてもすぐには降伏しなかった。
そのため、海津城松代城)城主・森忠政葛尾城に兵を置き、上田城を警戒していた。
そこへ、9月18日と23日の2度に渡って真田信繁(幸村)が夜討ちと朝駆けの攻撃を加えている。
しかしながらもはや西軍の敗北は明らかであり、同月中には徳川からの降伏・開城要請に応じた。

西軍に与した昌幸と信繁は、上田領没収の上死罪を命じられたが、嫡子信幸とその岳父である本多忠勝の助命嘆願によって赦免される。没収された所領は信幸に与えられた。

昌幸と信繁は高野山配流となったが、信繁が妻を同行させることを願ったため、女人禁制の高野山ではなく、九度山に流罪となった。
慶長5年(1600年)12月には、九度山で蟄居
国許から援助を受けつつ、真田庵で暮らす。
慶長16年(1611年)に病没。享年65。


2011年02月24日(木)17:34  「信毎 暮らしの知恵・特別号」
P2240002.JPG 400×300 45K
信毎さん、余部があったら、ウチに下さい。お客様に配りますから!

ちなみに、
上段左から、真田昌幸小笠原長時
中央が、諏訪頼重
左下が、村上義清


2011年02月14日(月)13:03  【インテリアに】和凧カレンダー【店舗装飾に】
P2130056.jpg 375×500 60K約60cmx45cm程の暦柄和凧です。
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お問い合わせはメールフォームかお電話で。


2011年02月14日(月)12:58  【インテリアに】和凧【店舗装飾に】
P2130050.jpg 375×500 54K約90cmx60cm程の和凧です。
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※実店舗まで取りに来ていただける方は、価格のご相談に応じます。
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