グーデリアン物語1-4

1-4
「黒狼のセレナーデ」


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 自然を愛する獣人達は、十九夜の月を「寝床の月」と呼んでいる。
 満月を4日過ぎた月の出は遅く、床に就くころにようやく昇るからだ。
 その「寝床の月」を、ケティは寝床の外で見上げていた。
 彼女は、幌に継ぎの当たった小さな幌馬車の、割れ板で補強した外壁によりかかって、月を見ていた。
 欠け始めた月は東南の方向、万年雪を冠した『石の壁』山脈の尾根に乗っている。
「月が、赤い…」
 ケティは身震いした。月が赤く光るのは凶兆だと、いつだったか父が言った。
 自分の肩を抱いて立ちすくむ彼女の右耳に、一つの声が飛び込んできた。
「空気が汚れているセイだろう」
 アルバートの低い声は、酷く不機嫌に響いている。
「唐突に出て来て…。脅かさないでよ」
「勘が鈍っているらしいな。こんな近くまで敵に近寄られているのに、気付かないとは」
「君を敵だと思っていないだけだよ」
 ケティは声の方を向いて、笑った。
「光栄だ」
と、答えたアルバートは、しかし仏頂面で彼女を睨んでいた。ケティは思わずうつ向いた。
アルバートは彼女の横顔をにらみつけ、唸るような低い声で言った。
「何を、悩んでいる?」
 ケティは答えなかった。アルバートは続けて問いかける。
「親父さんは無事、仇敵は死んだ。何に迷い、何を焦っているのか。…俺には『相談してもらう権利』があると自負しているんだが?」
 不機嫌な、それでいて険のない語尾が、ケティの上に降り注いだ。
 彼女は横目で彼の表情を覗き見た。彼の瞳には優しさと寂しさが光っていた。怒りや侮蔑は見えない。
 ケティは背筋に電気が走るのを感じた。緊張感の同居する奇妙な安堵が、彼女を包んでいた。
 青毛の娘猫は息を吸い込んだ。そして、小さな声を発した。
「何を…したらいいのか、わからないんだ。あたしはこれから、何をしたらいいのか…」
 言葉を選ぶ、と言うよりは、自分の気持ちを表現できる言葉を探しながら、彼女は言った。アルバートに自分の心を知って欲しかったからだ。
「何かしなければならんのか?」
 アルバートの眉が、怪訝そうに歪んだ。
「使命感、というやつか?」
「偉大な親を持つと、プレッシャーが大きくって…ね」
 ケティは笑いながらため息を吐いた。
「勇者の嗣子というのは、厄介なモノだな」
 アルバートの声は、何となく羨ましそうだった。
「あたしの代で廃業する訳にはいかないからね。…ウチは古い一族だから、伝統も重いんだ。家系図なんか書いたら、一山越えるくらいの長さになるよ、きっと」
 ケティは『石の壁』山脈を指した。
「オーバーなやつだな」
彼女の指先を追いながら、アルバートは仏頂面を解き、笑った。
 月の光が、山の残雪を赤く滲ませていた。そそり立つ『石の壁』は、人をその後ろの世界から隔離する役目を担っているのだろう。
 青く、そして赤い山。…その上に、白い光が走った。
「!?」
 絹糸のように細く白い光は、赤い月光を押し退け、山裾を貫いて輝いている。
アルバートはその光の光源を見た。目の前にいる、「勇者の跡取り娘」の胸元を、だ。
ケティは慌てて胸を押さえた。だが光は、彼女の掌を突き抜けて、なおも山を指して輝いている。
「野兎、それは?」
「ペンダント…父さんから『預かって』いる…」
「獣主・カザリーヌ様の、か?」
 ケティはうなづきながら、シャツの下にしまっていたアミュレットをそっと出した。
 金とも銀とも銅ともつかない古ぼけた金属に彫り込まれたカザリーヌの横顔が、柔らかく眩しい光を放っている。
「古い物か?」
「ご先祖サマが、獣主様から授かった物だって…あっ」
 ケティが小さな悲鳴を上げた。ペンダントの光が、不意に消えたのだ。
 アルバートはケティの手の中を見て、首をかしげた。
「お前の先祖が何故それを獣主様から賜ったか…。いや、それがいったい何なのか、が問題だ。…何に使うとか、何を示すとか、そういう言い伝えは?」
 ケティは首を小さく横に振り、顔を伏せた。
「…ただ、勇者の称号を得た者が持つように、と…」
 光の失せたペンダントを掌で包み込み、ケティは悲しそうに呟いた。
「勇者じゃないあたしがこれを持ってるから、カザリーヌ様が怒ったのかな…。だからあんなに激しく光ったりしたの?」
「勇者、というのは、何かを成し得た者に与えられる称号だろう?」
 ぼそ、と、アルバートが言った。ケティが顔を上げると、彼は東南の山並を見上げていた。
「光は山を、いや、山の向こうを指し示した。野兎、山脈の向こうには何がある?」
 アルバートは山を顎で指した。ケティは少し考えてから答えた。
「あたしが産まれたのは『聖なる壁』の麓のミガール湖のほとりだけど、高祖父の代までは『青の森』って所の東の外れに住んでいたって聞いている。…丁度、あっちの方向!」
 ケティの指が、東南を示した。
 まっすぐに伸びた彼女の腕を、アルバートがぐいっと掴んだ。彼の口元は、楽し気に笑っていた。
「ロゼが大陸全土の地図を持っているはずだ。お前のひいひいじいさんが生まれた場所に、何があるのか見てやろう。獣主様がお前に何を伝えたかったのか、ヒントぐらいは解るはずだ」
 二人は同時に駆け出していた。


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