グーデリアン物語1-5

1-5
「酔狐のソナタ」


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「夜中にレディの馬車に押し掛けてきて、薮から棒に『地図を見せろ』はないんじゃなくて?」
 ロゼは酒臭い息を吐いて言った。馬車の奥では、彼女の「年齢の離れた妹」が、酒盛りの卓上に突っ伏している。
「強い酒を浴びると、しわが増えるぞ」
 卓の上に置かれたウイスキーの小瓶を見て、アルバートが刺々しく言う。
「余計なおせわ!」
 子供のように舌を出すロゼと、水割り一杯で酩酊しているベラドンナを見比べて、ケティは『ベラの子供っぽい所って、やっぱり母親似なのだ』と、納得していた。
「大体、南方の地図なんか見て、どうするつもりよ?」
 ロゼは、どうやら当人ですら何が入っているか判らないらしい、古く大きな衣装ケースの中に頭を突っ込んで、中のガラクタをかき回し始めた。
「『石の壁』の向こうに何があるのか、知りたいだけだ」
アルバートは入り口近くの壁に掲けられていた、タペストリーを見ていた。
 それは真新しい生地に小汚い渋茶のシミを染め付けて、描かれている最新の地図をわざわざ古地図もどきに見せかけた飾りモノだ。
 描かれているのはレストリア大陸全土の輪郭だ。が、地形が細かく書き込まれているのは大陸の北西部分1/4だけだった。
 それ以外の所…具体的にいうと『無限の壁』山脈より西で、『聖なる頂き』湖より北の部分以外…は、おそらく森を表現しているのであろうくすんだ緑のドロドロや、砂漠か何かであるらしい焦げ茶のボコボコ、果ては、不格好な悪龍の吐く淀んだ赤いギザギザなんかを描いてごまかしてある。
 これを書いた人間の見識の深さが、一見しただけで解るという、大層な代物だった。
 当然、アルバート(と、ケティ)が知りたがっている方面も、まともな地形など書かれていない。
「森…。深い、森…。これが『青の森』?」
 くすんだ緑を指でなぞりながら、ケティは呟くように言った。
「野兎ちゃん、ソレ、南の方はいい加減だから、信用しちゃダメよ。人間族のいないトコロは、まるっきり描いてないから」
 ロゼのくぐもった声に、アルバートが
「便利な地図だな」
と、嫌味な口利きをする。
「人口の多いところを回る分には、それで充分ですもの。…おかしいわね。確かここに金毛狼族の旅巫からもらった、本当の古地図を入れておいた筈なのに…」
 顔を上げたロゼが、偽地図の下で残念そうに眉を下げていたケティをじっと見た。
「…『石の壁』を、越えるの?」
「はい…」
ケティは小さく、強く、うなづいた。
「いつ?」
「それはまだ…。でも近い内に」
「お父様の怪我は、まだ当分治らないのでしょう?」
「父には、残ってもらいます。父の旅の目的はローガンの討伐でした。それは達成できましたし。…父の事は飛将叔父さんに頼んであるんです。『押さえておいてください』って」
「それじゃ今度は、あなた自身の旅に出るのね?」
 ロゼはにこりと笑った。寂しそうな目をしていた。
「ごめんなさい、団長。あたし、なんだかじっとしていられなくて」
 ケティの胸が強く痛んだ。
 この旅団に入ってまだ一月に満たない。だのに団員達と結んで「しまった」絆が深すぎた。
「残って、とは言えないわね。わたしには、誰も…ここの団員、誰一人にだって…出て行くなとは言えない」
 一瞬、アルバートの方を見たロゼだが、再び寂しそうな目をケティに向け、続けた。
「だってここは、一時の宿。永住の家ではないもの。…ただ、お願いよ、野兎ちゃん。ベラドンナが、私の娘が気付かないように旅立って頂戴。この仔、あなたがいなくなると知ったら、絶対に大騒ぎする。そうやって、あなたの行く気をそぐに決まっている。だって、初めてできた、同じ年頃の友達だから」
「判りました。あたしも、ベラと別れるのは辛いですから…」
ケティは悲しそうな表情の上に、笑顔を張り付けて答えた。
 この旅が始まる以前は、自分が生まれた集落…周りにいるのは親戚ばかりだった…から出たことのなかったケティにとっても、ベラドンナは初めてできた友人だった。(繰り返しになるが、ケティにとってマーイは「妹」であり、ファルシオンは「弟同然」なのだ)いざ、彼女と別れるという段になれば、自分も取り乱すに違いなかった。
 ケティは狭い馬車内を見回した。短い期間に、信じられないくらい仲良くなった人々が、そこにいる。
 ロゼ、ベラドンナ、そしてアルバート…。マーイやファルシオンの顔も想い浮かぶ。
『誰にも気付かれないように出よう。誰にも…』
 ケティは決心を堅め、思わず唇を噛んだ。


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