グーデリアン物語2-4

2-4
「大航海時代」

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 マーイのいい加減な予測通りに、北風は1時間程で止んだ。当然、筏もぴたりと止まってしまった。岸からの移動距離はほんの20数km止まりで、広い湖の中間点にも及ばない。
「よそうがいのひろさだわ。てっきり、はんたいぎしについちゃうとおもってたのに」
 マーイは頬をふくらました。(「よそうがい」なのが術の効果ではなく湖の広さだというのが、なんとも彼女らしいのだが)
「…予定通りの道行だが」
 アルバートは冷静に言うと、竿で湖底を突いた。筏が進んできたのは岸に近い浅瀬だったから、3mばかりの長さの竿は半分も濡れなかった。
「『向こう岸』まで、まだずいぶんありますね。…陽が暮れたらどうするんです?」
 ファルシオンが心細そうにアルバートを見上げ、たずねる。
「そこらの岸に寄せて、森で野営する」
アルバートは『当然のことを聞くな』と言いた気な顔でにらみ返した。
「陽が暮れる前に、テントが張れそうな所の目星を付けておいた方がいいわね。食事の支度もしなきゃいけないし」
 妙に浮かれた調子のベラドンナが、筏の岸側…船でいうと右舷…に移動した。
「じめんのたいらなトコがいいよね。ねるときにせなかがいたくないトコ」
 マーイも右側に寄る。さらにファルシオンまでが
「湿っぽくない所がいいな。寝返りしたらじわっと毛布が濡れた…なんてのはヤだから」
などと言いながら右舷に這い出る。
 「乗客」の60%(と、荷物)が右に寄れば小さな船がどうなるかは、想像に難くない。
筏は僅かに右に傾いた。
「気を付けろ。転覆するぞ」
アルバートは呆れ声を上げながら左舷に体重を乗せた。
それでもバランスが戻らないので、彼はケティの襟首を掴んで、引き寄せた。
 ケティの軽い身体は勢いよくアルバートの腕の中に収まった。
「急に引っ張らないでよ」
ケティは真っ赤になった顔をわざとアルバートから背けたまま、小さく言った。
「猫族は泳ぎが苦手だと聞いているが、お前は水の中に放り込まれたいのか?」
 冷たく言いながら、彼はケティの肩を強く抱き締めた。強く温かい掌がケティの肩を優しく包んでいる。
「放浪者…」
 そっと見上げたケティの目に、不機嫌な表情を造ろうとしている『ある方面にはからきし不器用な男』の横顔が映った。青光りする黒髪が西風に煽られて、薄暗い空の中で舞っていた。
「あれ?」
 急に、ベラドンナが頓驚な声を上げた。
「岸が遠ざかってるわよ?」
「ちっ、風が出てきたか」
アルバートは慌ててケティから手を離し、竿を水中に差し込んだ。
 竿は、船頭が前かがみになるほど、深く沈んだ。
「油断した。湖岸の浅瀬から外れた」
アルバートの歯ぎしりした。
 風は次第に強くなり、筏はますます岸から遠退く。
「びい・ますたーさまがおこったぁ!」マーイが絶叫した。それとほとんど同時に空が暗転した。
 どんよりとした黒雲は、所々で青白いストロボ様の発光を繰り返している。
「雷か!」
 アルバートは竿を放り出したかと思うと、帆柱に飛び付き、それをへし折った。
「!? 何するのよ!!」
 ベラドンナがわめく。ファルシオンが慌てて彼女の腕を引く。
「姿勢を低く! 雷は高い所や金属を狙って落ちるんですよ!」
 彼の語尾が消える前に、全員がうつ伏せになった。
 強風に煽られ、湖面は激しく波打っていた。筏は細枝のようになぶられ、いつ転覆してもおかしくなかった。
「岩!」
ケティが湖面を指して叫んだ。
波が大きく膨れ上がった跡の、不気味に沈んだその場所に、マーイの背丈程の大きさの、ごつごつとした黒いものが見えた。
「あのいわ、うごいてるよぉ!」 マーイは涙声でわめいた。確かに、それは動いていた。素早く、まっすぐに、筏の真正面をに向かって来る。
「ぶつかる!」
 全員が叫んだその時、それは大きく「口」を開けた。「口」の横では、縦長い瞳孔を開いた砲丸のような「目」が、金色に光っている。
 人一人が横になれるくらいの長さの大きく裂けた「口」には、鋭く尖った無数の牙がびっしりと生えている。その奥からは、魚のものとも獣のものともつかない生臭い息が吐き出された。
「さっ、鮫?!」
 ファルシオンが歯の根の合わない叫びを上げた。
「違う! 鰐だっ!」
5人が悲鳴を上げるより先に、体長7m余の大鰐に喰らい付かれた筏が断末魔の悲鳴を上げ、真ん中から真っ二つに裂け、波に埋没した。


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