グーデリアン物語3-1

Bea-Kid'sグーデリアン物語。《エピソード3》
<森のお母さん>
3-1
「Illusion」

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 何もかもが、ぼやけて見えた。
 古ぼけたログハウス。
 暖炉に赤々と燃える炎。
 壁に掛かる誰かのポートレート。
 ちょっと傾がったドア。
 天井も、壁も、そこに存在している物に見えない。
 現実感、というやつが、無い。

 夢の中…そんな気もする。
 だが、身にかかる柔らかな毛布が、冷え切っていた己の体を暖めてくれているのは、まぎれもない現実だ。
『何処だろう、ここは…』
 信じられないくらい寝心地の良いベッドの上で、ケティはぼんやりと寝返りを打った。
 ドアの向こうに誰かいる気配がある。
 声を掛けようとして、躊躇した。
 耳の奥で、地鳴りのような音がする。
「聞こえなかったら…」
 微かに、自分の声が聞こえた。
 ケティはほとんど無意識に、自身の耳を触った。
 手に、耳ではない物が触れる。
 わずかに湿った、柔らかい綿状の物が、耳の穴の中に詰められている。
 取り出そうとする手を、誰かがつかんだ。
 見上げると、いつの間にか人が立っていた。
 ブルーブラックの髪…白髪が一筋二筋混ざっている…から、とがった狼の耳をのぞかせる女性。
 柔らかな笑顔を浮かべたその女は、首を小さく横に振った。
「耳の中に水が入った」
 その女が言う。
 声はくぐもり、はっきり聞こえない。
 それでも、不快を感じない、暖かい声だ。
 声だけではない。その女から漂い、自分を包んでくれている、奇妙に懐かし気配も、暖かい。
 その女は、全てを安堵に変換してくれていた。
「ここは?」
「『終の宮』。…青毛猫族の若き勇者。モーリスの名を嗣ぐ、野を駆ける兎…」
 『終の宮』をケティは「ヴァルハラ」と取った。同時に、彼女の全身の血の気が引いた。
 それは、勇敢に戦い散った戦死の霊が集うといわれる場所…つまり、死後の世界を意味する言葉なのだ。
「ははっ、安心おし。ここはヴァルハラじゃないし、私はヴァルキュリアじゃない」
 ワルキューレとか、ヴァルキリーなどとも呼ばれている「闘いの女神」は、勇士の魂をヴァルハラに導く「死神」の役目も負っている。
 その女は、満面の笑みを浮かべた。
 紅薔薇移動遊園地の長・ロゼのように妖艶で、飯炊き小母さんのように豪快な笑顔だった。
「確かに勇者の魂は眠っている…私の夫の魂が。だからここは、私にとっての『終の宮』。私もここで人生を終わらせるのだから」
「旦那さんの、魂…?」
 何気なく、壁を見る。
 小さなポートレートに、一人の男性が描かれていた。
 漆黒の髪…ぼさぼさに伸びて飛び跳ねている…から、人間の耳をのぞかせた男性。
「そう。私の夫。アルバート=フェルン・シニア」
「へっ?!」
 ケティは自分の顔面が、妙な形に引きつっているのを感じながら、訊ねた。
「シニア…ってことは、ご子息も、同じ名前って、ことですよね?」
 その女は笑顔のままうなづいた。
「ホントに、お前さんは人間族の風習に詳しいね。『坊や』の言ったとおりだ」
「『坊や』…ですか…」
 ケティの脳裏に、『坊や』の顔が浮かんだ。
 種としては母の血を、姿には父の血を濃く受け継いだ、黒毛狼族の顔が、である。
 そのアルバート・K・フェルン“Jr.”が、ドアの隙間から仏頂面をのぞかせた。
「『二世』にして欲しい…せめて…」
 無口でクールな戦士の表情は、そこにはなかった。
 いつまでも親離れさせてもらえない、面映ゆく拗ねた、子供の顔があった。


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