グーデリアン物語3-4

3-4
「oracle」

MENU


「賢いけれど、やかましいお嬢さんだわね」
 フェルン夫人は幻の中のベラドンナを指さした。そして、せがれの顔をちらっと見て、一言、
「眠らす。うるさくてしょうがないもん♪」
 語尾に、不思議な節が付いていた。文字にできない声が、微かに空気を揺する。
 瞬間、ベラドンナがぴたりと泣きやんだ。
 泣き声を出しかけた口は、大きく開かれている。
 が、両のまぶたは、呆気ない幕切れの芝居を観客の目から隠す緞帳のように、ストンと閉じた。
 しゃがみ込んだ姿勢のままに、上体は直立し、硬直している。
 そして彼女は、大きくいびきをかき始めた。
「なっ!?」
 ケティと、幻の中のファルシオンが、同時に声を挙げた。
 フェルン夫人はニッと笑うと、ケティの両耳から湿った綿を抜き取り、足下の床に投げ捨てた。
「術、っていうヤツは、こういう風に使うものだよ。精霊に任せきりで、自分の内に秘められた力を使わないじゃ、本来の力の万分の一も出やしない。応用を利かさないとね」
 ケティの脳漿を、電気のような物がめまぐるしく駆け回った。
 遠くのでき事を間近に感じることのできる術はないか?
 逆上する者の心を安堵させる術はないか?
『ある。とんでもなく高度な…普通の巫女では扱えない、「天才」マーイが4回も失敗して、その反動で昏睡してしまう術よりも、もっと強力な術が、ある』
「『精霊の瞳』と『魂の癒し手』…」
 ポツリと口を突いて出た答えを聞くと、フェルン夫人は胸を張り、自慢気に大きくうなづいた。
「もっと、見たい? ホントの取って置きがあるンだけれど」
「取って置き…ですか?」
「ちょっと、お天気をいじっちゃおうかなって、思ってるのよ」
「お天気を、いじるって…まさか『天候操作』!? あれって、禁呪じゃ!?」
「私は誰からも『使うな』なんて言われてないもの」
 フェルン夫人はあっけらかんと答えた。
 獣人達の術…人間達が精霊魔術などと呼んでいる物…は、自然とそれを守護する精霊の力を、シャーマン達が借り受けて使うものである。
 術の威力は、術者の力量に左右されるため、新米にはせいぜい、田起こしをしたり、種火を点けたり、天気予報をしたり、擦り傷のかさぶたをきれいに剥がしたり…程度のことしかできない。
 逆を言えば、熟練した術者なら、精霊の秘めたる力をも引き出すことができる、ということである。
 地震を呼んだり、辺りを火の海にしたり、天候を操ったり、あるいは、死の淵を降りかけている魂を強引に引き戻したり…といった「奇蹟」が起こせるのだ。
 が、そのような自然をねじ曲げる術は、多大な危険を伴うために、使うことを禁止されている。少なくともケティの一族では、禁忌とされていた。
 ケティは
「そう…なんですか」
と、つぶやくしかなかった。
「それで何をやる気だ?」
 アルバートが、諦めの多分に含まれた呆れ顔をする。
「あの『レイラの民』のボクちゃん、ね」
 『レイラの民』とは、レストリアに住む人間族のことである。
 獣人達は「カザリーヌ」を崇め、それ故「獣の子ら」と呼ばれている。
 同様に人間達は、彼らの指導者であった天幻の魔女の名を冠して「レイラの民」と呼ばれていた。
 ここで重要なのは語尾だ。あくまでも「あった」であり「いた」である。…全ては過去形なのだ。
 昔、彼らがまだレイラに率いられた移民団であった頃、彼らは自らそう名乗り、そう呼ばれることを誇りとしていた。
 だが、レイラが「眠りの時」に入った今…彼女の庇護を肌で感じることのできない現代…では、そう名乗り、そう呼ばれ、そう呼んでいる者は、少ない。
「あの子の『レイラの民』らしい思い上がり、気に食わないな。そう思わない? 自分は何でも理解しているって、そんな顔してる。ああいう顔見ると、ちょっとからかいたくなってくる」
『悪戯っ子が落とし穴をこしらえる計画をうち明けているみたい』と、ケティはフェルン夫人の笑顔を評した。…それを口に出すことはなかったが。
 そんな微笑ましさを、フェルン夫人自身が粉砕した。
「脳天に雷でも落としてあげようかね?」
 悪意の全くない、さわやかな笑顔のまま、彼女はファルシオンの幻を指さした。
「待って! ちょっと、待って!!」
 慌ててケティはその指先に取りすがる。そしてアルバートに目を転じて
「止めて! お願い、お母様を止めて!」
「『お母様』!?」
 フェルン夫人の眼が、きらきらと輝いた。
「ああ、なんていい響き! ああ、やっぱり女の子を産むんだった。…でも、じきにお前さんが義娘になってくれるんだもんね。それで我慢し…」
 言葉の終わらない内に、アルバートが大声を上げた。
「俺と野兎とはそんな関係じゃない」
「あら、ひどい子ね。こんな可愛いお嬢さんと、遊びで付き合っているわけ?」
 反論は、しなかった。何を言っても茶化されるに決まっている。
 アルバートは口をつぐんで、ケティの方へ向き直った。
 予想通り、彼女は赤面している。
「年寄りの冗談を真に受けるな」
 そう言うと、彼はくびすを返し、古びたドアへ向かった。
「当てるなら雹ぐらいにしておいてやれよ。タコでも野兎の身内だ」
「相変わらず、可愛気のないヤツ」
 蝶番の悲鳴を聞きながら、フェルン夫人は肩をすくめた。
 戯けた仕草の中に、一瞬、寂しさが見えた。
「…それはそれとして」
 偉大なる術者は、再び満面に笑みを浮かべた。
「ただ独り、不安な夜を過ごさせては可哀想過ぎるか」
 奇妙な抑揚の付いた笑声を上げ、消えかかった幻の中を指す。
 深い森の奥のスコールが、瞬時にして止んだ。


MENU
HOMEPAGE