Bea-Kid'sグーデリアン物語。
《エピソード6》
<南下行>
6-2
「見知らぬ知人」


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 人が一日…夜明けから日没まで、途中休憩を入れたとして、約10時間…で歩いて行け
る距離は、40km前後だという。
 つまり1時間でおおよそ4km。
 そしてこの「時速約4kmで1時間に進む距離」が、あらゆる物差しの基本になってい
ると言っていい。
 獣人達はこの長さを「里(り)」と呼んでいる。
 その十分の一、400mが「町(ちょう)」。さらに十分の一である40mが「反(た
ん)」、さらに十分の一に割って4mを「間(けん)」、その十分の一の40cmは「尺
(しゃく)」、それの十分の一は「寸(すん)」、それの十分の一が「分(ぶ)」。
 長さの単位はそこまで、あとはせいぜい「十分の半分」までが、認識できる精度になる。
(作者注。単位名は仮に和風で表しているが、日本の尺貫法との互換性はない。)
 しかも、種族・部族によって「里」の長さが微妙に違う。
 体の大きな熊族や狼族が一日に歩く距離と、小柄な猫族のそれとは、大分に違ってくる
からだ。
 それで「猫里」やら「熊尺」という区別の仕方をすることもある。
 ちなみに「猫里」の一里は約3.8km、「狼里」だと4.5kmほど、になる。

 さて、猫・狐・狼の混合パーティーであるケティ達の一行が、今日一日に進んだ距離は
と言うと、一番小柄な猫族の十里…ではない。
 馬車と蒸気機関という文明を持つが故に、歩行旅(かちたび)に耐える体力を失った人
間族のファルシオンが、一番小柄なマーイよりものろのろと歩いた上に、三時間おきに
「もうだめですぅ」
と、座り込んでしまうものだから、30km強、と言ったところだろう。
 朝、金毛狼族の長が、
「青毛猫族の遺跡まで、丸1日で着く」
と言ってくれたが、
「2日、だな」
 アルバートが息を吐いた。
 日は、まだ稜線のはるか上にある。
 しかし、ファルシオンの持つ懐中時計の針は、夜9時を廻っていた。
「時計、狂っちゃったかな…」
 時計の持ち主は、不安そうに、銀色の精密機器を逆さにしたり揺すったりした。
「夏の時季、南下するほど日が長くなるのは当然だろう」
 カヤックを荷物諸共岸に担ぎ上げながら、アルバートが言う。
 この「レストリア大陸(『グーデリアン』は人間達が付けた国名である)」が惑星ティ
アの南半球にある、とか、ティアの自転軸は公転面からおおよそ25度傾いている、とか
いう事実は、獣人達の知らないものだ。
 しかし、彼らの脳漿と肉体には、700年に渡って彼らの血族が住み暮らした大地のリ
ズムが、深く刻み込まれている。
「だから金毛の長は『丸1日』と言った。日の入りまであともう2時間もあるだろうから
な」
「えっと、狼族だから当然狼里で、夏場は15時間は歩けるとして」
 ケティが言いかけると、
「15時間!?」
 今日は既に12時間歩いている。…ファルシオンがいなければ「3時間ごとに20分ほ
ど」のロスタイムは出ておらず、あと一時間は進めただろうが。
 それだけで意気消沈しているのに、あと2時間も歩かされたら、気絶どころでは済まな
い事態になる。
 ファルシオンはその場にへたり込んだ。
 ケティは脆弱なぼうやをまるきり無視して
「…十五狼里は猫里にして十八里弱…。今日これまで歩いた距離がおおよそ九猫里ちょっ
とだから」
 その語尾をマーイが拾う。
「ちょうど、はんぶんくらいよね」
 さらにその後をベラドンナが接いで、
「まったく、誰のセイで道行きがはかどらないのかしらね」
 二つの視線が、ファルシオンに向けられた。
「なんだよお。マーイだってベラだって、道草したりさぼったり…」
「よびすてにしないでよ。春風さんっていいなさい」
「そうよ。水晶の薔薇サマって呼びなさいよ」
「うっ。と、通り名があるからって、偉そうにぃ」
「まーい、あんたなんかよりズッとえらいもん」
「私、あんたより年上だもの」
「あぅ…」
 小心者は救難信号を視線に乗せて、ケティに送った。
 ケティは小さくため息を吐くと、
「夕ご飯にしようか」
カヤックの中で、荷物を一つ解く。
「わーい。ごはんだ、ごはん」
 ファルシオン包囲網の一角は、あっという間に崩れた。
 もう一角であるベラドンナも、
「あー、疲れた。タコからかうの、飽きちゃった」
と舌を出す。
「日が落ちる前に、焚き火を点けないといかん」
 アルバートがつぶやくように言いながら、乾いた地面を探す。
「まーい、しばをさがしてくるわ」
 白毛の仔猫は、ロンドの足取りで、背の高くない木々が密集する森の中に入っていった。
 にぎやかな鼻歌は、小枝をやかましく掻き分けて、奥へと進んでゆく。
 と。
 巨大な弓の弦鳴りのような音と、
「ふぎゃっ!!」
という悲鳴が、同時に聞こえた。
「マーイ!?」
 ケティは、とっさにカヤックの中からブーメランを掴み、声のした方へ駆け出した。
「待て!」
 その腕を、アルバートが掴んだ。
「あそこだ」
 顎で、高みを指し示す。
 仰ぎ見ると、灌木の群れを突き破って、一本のすらりと細い杉が立っていた。
「あんな高い木、今まであったかしら」
 ベラが首を傾げる。ファルシオンは首を横に振った。
「天然素材の…跳ね上げ式罠だ」
 梢のてっぺんが、小刻みに揺れている。
 初めは、その先に据えられている罠…獲物が仕掛けを踏むと留め金が外れ、足下の落ち
葉や土でカムフラージュされていた網を跳ね上げて、獲物もろとも樹の高みに吊し上げに
する…の慣性で左右に揺れていただけだった。
 しばらくすると、言葉にならない大音声とともに、左右は勿論、前後上下、四方八方に
大きく揺れだした。
 枝よりも、枝から下がっている巾着状の網の方が大きく揺れており、それよりもなお、
網の中身の方が激しく動いている。
 荒く編まれた網の目から、綿毛のような髪がはみ出し、風を受けたタンポポの種子のよ
うに、なびいていた。
「あら、元気そう」
 ベラドンナが、安堵とも呆れとも取れるため息を吐いた。
 ケティはブーメランを荷物の中に放り込むと、腕組みをした。
「あんまり暴れると、折れるかも。杉って、案外ネバリがないっていうから」
「えっ?」
 一瞬にして、ファルシオンの顔面から、血の気が引いた。
「鳴子が鳴っている。そのうち、罠の仕掛け主が飛んでくるだろう」
 アルバートは耳だけを絶叫の方へ向け、カマドの設営を始めた。
「そんな、悠長な! もし、木が折れて、マーイが落ちたらどうするンですか!?」
 ファルシオンは青白い顔を、マーイとアルバートへ交互に向けて怒鳴った。
「自業自得」
 にべもない。
「猟師のヒトに謝らないと。せっかくの罠に、煮ても焼いても喰えないもの掛けちゃって」
 ベラドンナの二度目のため息は、明らかに呆れが主成分だった。
「あ、来た」
 ケティの指は、川上の茂みを指していた。
 天を突くような大男と、一回り小さな若者の二人連れは、目を丸くして立ち尽くしてい
る。

 若者は、熊族だった。名を“平らげる者”ヘイストといった。
 女性かと見まごうような顔立ちで、熊賊の特徴である髭も、まだ生え揃っていない。
 それでも背丈はアルバートよりも頭半分高く…これはあとで判ったことだが…年齢もさ
して違わないようだ。
 その巨躯が、信じられないほどの身軽さで、あっという間に杉の木を登り詰め、マーイ
入りの網を負って、するすると降りてきた。
「親父、どうしよう? もう一度、罠を掛けようか?」
 ヘイストは片手で網を…マーイが入ったまま…ぶら下げて、彼よりも背が高く髭の長い
大男の前に突き出した。
 大男は、頭の天辺のちぎれた耳をすこし動かして、
「今日は止めだ。明日、別の所に仕掛けよう」
と、笑った。
 サーベルタイガーの毛皮で作ったズボンの尻で、細長い尾が揺れている。
 黄色と黒の縞模様。
「虎っ……!」
 言いかけるファルシオンの口を、ケティが手でふさいだまま、
「すいませんでした。あなた方が苦労して掛けた罠を…」
深々と頭を下げた。
「事故だ。気にするな」
 大男は柔和な笑みを満面に浮かべた。
 が。
『ぐぎゅぅ〜〜〜』
 ヘイストのへこんだ腹から、大音響が鳴った。
「あ、ここ三日ほど、飯、喰ってなくて」
 照れ笑いして頭を掻く。
「猫肉で良ければどうぞ」
 ベラドンナが真っ赤な顔で網を指した。
 まだ解放されていなかったドジな猫族は、網の中でもがいている。
 マーイは、高い木の上で必死に騒いでいたセイで、すっかり喉が嗄れ、声が出なくなっ
ていた。

 干し肉で出汁を取ったスープが煮えたころ、空の半分が星で埋まった。
 焚き火が照らす食卓には、堅焼きのパンと、モールチーズ、乾燥野菜のスープに、出汁
ガラの干し肉が並んだ。
 金毛狼の長が、十二分の食料をくれたおかげで、人数が増えても気にならない。
 配膳係は、珍しくベラドンナが務めている。
 しかし、どうも公平さに欠ける。
 ヘイストの皿だけが、他の者達より充実していた。
「お腹がすいているヒトが優先よ」
 というのが言い訳に過ぎないことは、マーイ以外には判っている。
 ケティ達にとっては、いつも通りの夕餉だった。
 だが、二人の「客」にはパーティ並の陽気さに思えた。
「お袋が死んでから、男所帯だったから」
 ヘイストが翳りのある微笑みを浮かべると、ベラドンナが
「あら、お母様がお亡くなりに? お可哀想に」
妙に気取った言葉遣いをする。
「面食い」
 ファルシオンがつぶやいた。
 声を出したつもりはないのだが、隣にいたケティと耳敏いアルバートにはしっかりと聞
こえてい、目を見合わせて小さく吹き出した。
 と。
 ケティは、ヘイストの「親父」が自分を見ていることに気付いた。
 顔や身体ではない。髪と耳を、じっと見ている。
「あの…」
「気を、悪くしたか? すまんな」
「いえ、別に」
「似ているのだよ。君が、昔別れた古い友にね」
「女の方ですか?」
 ケティが小声で聞くと、大男は首を横に振った。
「悪く思わないでくれよ。何しろあの頃は、わしも彼も子供でね」
 大男は天を見上げた。瞳は懐かしそうに彼方を見つめている。
 ケティは何気なく
「どちらの支族ですか?」
と聞いた。
 青毛猫族はレストリア全土に散らばって、一族単位で群れ暮らしている。遊牧して旅を
する支族もあれば、農耕して定住する支族もある。
「奇麗な湖のほとりだったよ。ミガール湖、だったかな」
 アルバートの耳が、動いた。顔は、ケティの方を向いたままだ。
 ケティは口を半開きにして、大男の顔を凝視していた。
「小字(こあざな)を野風と言った。再会を誓い合ってから30年近く経つ。わしより一
つ年上だったから、もう40過ぎか」
「小父さん…のお名前を教えてください」
 ケティは声を震わせて訊ねた。
「ああ、まだ名乗っていなかったな。…往く雲、と呼んでくれ」

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