Bea-Kid'sグーデリアン物語
《エピソード7》
<決戰>
7-3
「水」


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「…大した強運だ」
 着地したアルバートは、思わずつぶやいた。
 狭い、真四角な空間だった。
 アルバートが両手を広げてみると、指先が壁に触れた。
 しかし、天井だけはやたらと高い。暖炉の煙突を下からのぞきあげている気分になる。
 ただ、明らかに煙突とは違う。
 天井がしっかりふさがっており、床からおおよそ2m半ごとにドアがついているいて、 金属のロープが何本もぶら下がっている煙突など、見たことも聞いたこともない。
 それに。
 部屋の真ん中に滑車があった。上向きに据えつけられ、件のロープがかけられている。
 ケティは、その滑車の横に倒れていた。
 ロープや滑車に当たっていたら、怪我をしたでは済まなかったろう。
「あたしも、そう思う」
 声を絞り出して、返事をした。
 半ば強制的に、それも敵対する者の側から「勇者」に指定されてしまった、その意味で は実に不運な少女は、ようやく瞼と唇を動かしていた。
 起きることができない。
 当然だ。
 この、壁も床も岩のように硬い建物に、穴が開くほどの勢いで叩き付けられ、見上げる ほどの高さから落下したのだ。無事でいられる道理がない。
「脚の方から落ちたみたい。頭と腕は平気」
「見た目には、骨折していないようだが」
 アルバートはそっとケティの身体を抱き上げ、肩に担いだ。
 そうしないと、2m半も上にある扉まで登ることはできない。
「少々の痛みは我慢してもらう」
「大丈夫。体があたしの言うことを聞いてくれないから。あたしが痛いと思っても、身体 は平気に動いてくれている」
「獣主様は、お前の意思を無視している、のか」
「言っている意味が、わからないよ」
 肩の上の「荷物」が不思議な笑顔を浮かべた。アルバートは顔を背けるために上を見、 答えを先延ばしにするためにジャンプした。
 片手が悠々と手がかりを捕らえた。
 元々、二人並んで通れるかどうかの幅しかない鉄でできた引き戸は、中途な開き方で固 まっていた。
 負っているケティを扉の向こう側に押し込んでから、はい上がるしかない。
 奇妙に空気の澄んだ、想像以上に広い空間がそこにあった。
 見たことのない意匠の調度品が雑然と並んでいる。それらがテーブルであり、椅子であ り、瓶が並んだ棚であることが理解できるまで、ほんの一瞬だが時間がかかった。
 それらの上には、ネズミの毛皮を敷き詰めたような埃が、たっぷりと積もっていた。
 床の上のケティを、アルバートは再び抱え上げた。
 同じ埃まみれでも、床よりは椅子かテーブルの上の方がいくらかマシに思える。 
 場所を探して見回すと、アルバートにはここがかつて何であったかが、おおよそ解った。
「バー…か」
 ありきたりなテーブルと椅子の他に、カウンターテーブルがある。
 庶民の家には絶対あり得ない巨大な食器棚に、膨大な数のグラスが納められている。
 低めの天井から、透明な石をつないだシャンデリアがいくつも下がっており、暖かみの ない微かな光を放っている。
 今時の酒場では見かけない形だが、酒樽と思わしき容器。ビアサーバーか、そうでなけ ればウイスキーのソーダ割りを作るのであろう…アルバートにはそれ以外の用途が思いつ かない…機械のたぐいが並んでいる。
 そして、小柄なケティの身体が丁度収まる、おあつらえ向きのソファ。
 時が押し固めた埃は、オレンジの皮よりも簡単に「剥く」ことができた。そうして露わ にされた綿ネルの上に横たえられながら、ケティは小さく言った。
「まだ答えを聞いていない」
 まるで、語彙の足りない園児をあやす保母のような顔でほほえんでいる。
 アルバートは、傍らに転がっていた低いスツールを蹴飛ばして空間を作ると、10歩も 離れた場所にあるカウンターテーブルまで、背もたれのない高い椅子を取りに行き、ソフ ァの側にすえ、腰掛けた。
 どうしても、ケティを見下ろしたかった。
 彼女の視線を真正面から受け止めることに、不可解な抵抗感があった。
「おまえは巫女じゃない。その身を依り代にする必要はないし、その資格もないはずだ。 それを獣主様は、何度もおまえに無理をさせて、揚げ句におまえの体を使って行動しよう としている」
 声に怒気がこもっている。アルバートは言いながら気づき、言い終わってから後悔した。
 他人の身に起きていることに対して、取り乱している自分が、滑稽で哀れに思えた。
「獣主様があたしを利用しているのではない、って言ったのは、君の方だよ」
 ケティが悲しい目で見上げる。
 一瞬、言葉に詰まった。
「だが、今日のおまえは、間違いなく今まで通りのおまえではない。俺は、おまえはおま えでなくなってしまったのが気に入らない」
 これだけのことを言うのに、アルバートは未だかつてないほど勇気を振り絞った。
 初めて戦いというモノを経験して時よりも、初めて銃を手にしたときよりも、初めて敵 を殺したときよりも、息が苦しかった。
 だから、ケティが
「ありがとう」
と返してきたことに驚き、安堵した。
「でも大丈夫だよ」
 大きく息を吐いたあと、彼女はゆっくりと起きあがった。
「この村に来てから、声が聞こえるんだ。『どうしても、やらなきゃいけないことがある』
って」
「獣主様の声か?」
 ケティがうなずくのを見た途端、理由の解らない怒りが、アルバートの胸にわき上がっ た。世擦れした者ならば、その感情を「嫉妬」と呼ぶだろう。
「『自分はどうしてもここから出られない。お願いだから力を貸して欲しい』って、とて も済まなそうに仰るの。…おかしいと思わない?」
「何が?」
「獣主様はあたし達獣人の長なんだから、命令して当然なのに、『お願いだから』なんて 懇願なさったんだよ。変、だよね?」
 確かに、奇妙な話ではある。
「なぜ命令でないのか、何をしたいのか、『ここ』というのは何処か。それと、なぜおま えはその『お願い』を拒絶しなかったのか。納得のいく説明を…」
 言いかけて、アルバートは立ち上がった。
「してもらう時間はないようだな」
「…だね」
 二人は、自分たちが落ちてきたあの縦穴の方を見た。
 質量の大きな物体が落ちてゆく音がする。
「最後のの理由を答える時間はあるみたいだ」
 ケティは立ち上がりながら、
「獣主様の声が、どこかで聞いたことのあるような気がする、優しい響きだったから」
 かたい地面の上に、何かが激突する音が聞こえた。
 そいつは地面を蹴り、動かない扉をこじ開け、もうもうと舞う埃の中から現れた。
「あんたも無茶をやるな、紅い閃光」
 身構えたアルバートに対し、ガーシュインは、
「貴様ほど愚かではないがな、放浪者」
と応じた。
 互いに、本名を呼ばなかった。
 相手に、敬意を表すべき力が備わっていると、両方が感じていた。
「他の入り口を探す気には?」
「ならんな。おまえや、まして青い闘神に負ける訳にはゆかぬ」
「その割に、時間がかかったな」
「ジジイを黙らせるのに手間取った」
 忌々しげなガーシュインの言葉は、アルバートの胸に不安を走らせた。
「往く雲…」
 しかし、その感情はあっという間に晴れた。
 ケティの、
「大丈夫」
というささやきは、何よりも力強い。
 実際、地上では“往く雲”が瀕死の状態ではあるが、生きていた。
 彼の一人息子は草むらから飛び出すと、まとわりついていた肉達磨のような虎族を蹴り 飛ばして引っ剥がし、父親を担いで、再び草陰に飛び込んだ。
 マーイが「精霊の癒し」を唱い、ファルシオンが服を裂いて止血帯を作り、必死で手当 をしている。命に別状はない。
「放浪者よ、おまえとの決着は後回しだ。オレが倒したいのは小生意気な野良猫の方で、 手負いの狼ではない」
「残念だが同意しかねる。こいつは野良猫なんかじゃないし、俺も手負いではない」
 アルバートは、裂けて血のにじんだシャツの袖を、引きちぎった。
 刃が骨まで食い込んだハズの場所には、筋のような傷痕だけが残っていた。
「術も使うのか!」
 ガーシュインは歯ぎしりしてケティをにらみつけた。
 彼は術使いが嫌いだった。剣の届くその外側から、自分には理解できない力で攻撃され るのが気に食わないからだ。
 そして。
 その気に食わない相手を、自分の力でねじ伏せ、倒すことが、たまらなく好きだった。

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