Bea-Kid'sグーデリアン物語
《エピソード7》
<決戰>
7-1
「風」


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 皆が空を見上げたとき、逆に地に目を…いや耳を…向けた者がいた。
 アルバートと“往く雲”は、ほとんど同時に伏せ、耳を大地に押し付けた。
 灰と土とが混ざり合ったものに覆われた道は、天然物とは考えられない、真っ平らで黒 ずんだ「一枚岩」でできていた。
 その「岩」がかすかな振動を伝えた。
「騎馬10、歩行(かち)50強」
 アルバートがつぶやいた。“往く雲”はちぎれた耳をさらに地面に押し付け、
「イイ線だ」
 立ち上がりざま
「『心廣き獣神よ、我が槍先にみ力を』!」
と唱った。
 “往く雲”の身体を透明な光が覆い、それが元々太い筋肉を更に脹れあがらせた一瞬の 間、ようやく視線を落としたケティの脳は、激しく混乱していた。
「狼族の呪歌…『戦いの叫び』!? なぜ?」
 目を見張ったケティの、行き場のない問いかけに、アルバートは一言、
「精霊が、違う」
とだけ答え、今来た方をにらみつけた。

 空気が揺れた。
 地鳴りがする。
 ファルシオンには、そびえている火山が突如として噴火し、熱風を吹き出す音が聞こえ た。
 ヘイストには、何十匹ものサーベルタイガーが、己を狙って咆吼するのが聞こえた。
 マーイには、この「村」を取り囲む何百もの人馬が、一斉に鬨の声を上げるのが聞こえ た。
 ベラドンナには、百万の観衆のブーイングが聞こえた。
 ケティには…ケティにはなにも聞こえなかった。
 ただ、膨大な数の殺気が近づいてくるのは感じ取れる。
「でもこの気配、偽物だ」
 ケティは負っていたブーメランを手に構えると、空を見上げた。
「同意見だ」
 アルバートは相変わらず「門」の方を見ている。
「わしも、だ」
 言うが早いか、“往く雲”は、まるで川面に石を投げ込むような緩慢さで、愛用の短槍 を投げた。
 それは獲物を狙う荒鷲の羽ばたきに似た風切り音を立てて、「村」の門を付け抜けてい った。
 門まで、悠に2町(800m)はある。
 その更に先で、いくつもの断末魔の声があがった。
「半分以下になったはずだが…」
 おそらく、門の外側には2.30の死骸があるはずだ。
 運が良ければ胸に大穴が開いているだけだろうし、不運なヤツなら粉々の肉塊になって いるに違いない。
 それでも不自然な威圧感は消えない。
「たぶん『縛り』って言霊(ことだま)だと思う…人間族の術の。でも…」
 ケティは相変わらず空を見上げている。
 『縛り』には、相手を威圧し、金縛りにする魔力がある。ただし、心弱き者にしか効果 がない。
 アルバートと“往く雲”も上を見た。
 天空で輝く金の光は、真上で制止し、彼らを睥睨していた。
 大きな気配が二つ、その金色の中から感じられる。
「人間族のソーサラー…じゃないな」
 アルバートが言う。“往く雲”は同意しつつも、
「言い切るか?」
「ソーサラーとは、以前に一戦交えたことがありましてね。あいつらは言葉の持つ『本当 の力』を引き出すのが巧い。だがコレは違う。…上手く言い表せないが…」
 言葉に詰まり、アルバートはちらりとケティを見た。
 彼女は、瞼を閉じていた。
 とがった耳が、遠くから聞こえる何かをとらえている。
「…ねじ曲げられて隷従させられている『力』の悲鳴が聞こえる」
「良い表現だ」
 “往く雲”は、ニッ、と笑んだ。そして、
「良いあるじに恵まれなかった奴隷は、逃げだそうとするのが常だ。見ろ」
 禍々しく空の一点で光ってるモノを指した。
 それは巨大な物体であった。
 まるで、千年の大木が、黄金に輝いているようだ。
 それが、不安定に揺れながら、雷のようなスピードで降下してくる。
「落ちる!」
 アルバートが反射的にケティを抱きかかえた。
 ところが。
 巨大な物体は落ちてこなかった。
 頭上1町(400m)ばかりのところで止まり、下の方からゆっくりと崩れ始めた。
 崩れるよりも、潰れる、の方が的確かも知れない。
 まるで、細長いパイを縦に床に落としたような、そしてそれを、透明な床板の下側から 見上げているような、不可解な光景だ。
 音が降り注いでくる。
 蒸気機関車が堅い岩盤に衝突すれば、もしかしたらこんな音を発するかも知れない…そ れほど凄まじい破壊音だ。
「拒絶…する…」
 アルバートの腕の中で、ケティが静かにいった。
 ここにいるのは、あの小さな“野兎”なのか? 俺が守ろうと決めた、弱い彼女か?
 アルバートは思いつつ、しかし違う問いを投げかけた。
「何を?」
「争うために争う者を、戦うために戦う者を、我は拒絶する」
「誰だ、あんたは?」
「我は…」
 ケティは顔を上げ、天を仰いだ。
「我は“青い闘神”。守るために戦う者」
 声に威厳があった。ここ数日来の、何かにおびえ不安にふるえていた、そしてそれを隠 そうと務めていた少女の声音とは、明らかに違う。
 が。
 横顔は、ケティ“野兎”モーリスそのものだった。
 ヘマをやらかしたマーイや、ドジを踏んだファルシオンや、間を外したベラドンナを見 るときの、母性を感じさせるあきれのまなざしで、崩れ行く物体を見つめている。
「野兎」
 アルバートはあえてその名で彼女を呼んだ。
「あいつらは、なにをしでかした?」
 金色の潰れゆくパイを顎で指す。
「自分を過信した。…乗っている馬の速さを自分の脚力と思い違いするように、使役する 精霊と言霊の魔力を己の膂力だと思いこんでいた」
 ケティはほほえんだ…ように、アルバートと“往く雲”には見えた。
 大気を吸い込む。そして、二つのメロディを乗せた息を吐き出す。
 同時に、である。二種類の呪歌を、一度に唱っている。
 聞くうちに心が穏やかになる呪歌と、優しい空気の渦を作り出す呪歌。
「このお嬢さんは、旅巫(シャーマン)だったのか?」
 “往く雲”が目を見張り、尋ねる。
「流行歌(はやりうた)ならまだしも、こいつが呪歌を唱ったのは、俺が知る限り、今が 初めてです」
 確かに彼女は、再三歌によって獣主を「召還」したが、その時の美声に呪歌のような魔 力は無かった。
「穏やかな川面は深淵を隠す…。とんでもない手練れだ。ホーミー(二重詠唱)で、『魂 の癒し手』と『天幕』を唱うとは」
 「魂の癒し手」という精神を癒す効果のある、猫族にだけ許された高度な呪歌を、アル バートはこの瞬間まで知らなかったが、「天幕」の方は知っている。
『3日前、マーイが4度も唱い損ねたヤツだ』
 アルバートは両手を広げ、ケティを解放した。
 戦うために、だ。
 落ちてくる者達と。
 崩れた金色の物体は、木の葉のに降った雨だれのように、村を覆う「結界」の上を滑り 落ちてゆく。
 バラバラと「村」の外へ流れるさまは、まるで流星群だ。
 そして、魔法という荒馬を御しきれなかった者達が、流れずに真下に落ちてくる。
 「天幕」が作る空気の渦に巻かれながら、翻弄される落ち葉の体で、ゆっくりと激しく、 二つの人影が近づいてくる。
「あーっ、あいつ!!」
 直前まで轟音の幻聴に惑わされていたベラドンナの声だった。
 ケティの「魂の癒し手」が効いたのだろう。マーイもファルシオンもヘイストも、一応 は正気に戻ったようだ。
「森の狼さんのところで、寝込みを襲ってきたやつ!」
 錐揉み状に落ちてくる二つの影のうち、縦に長い方を指して、ベラは騒ぎ立てた。
「紅い閃光か。厄介なヤツが…」
 現れた、と言いかけて、アルバートは気付いた。
「野兎、なぜ奴らを助ける!?」
 落ちて来るままにしておけば、彼らは金色の物体同様に、肉片となって結界の上を滑り 落ちていたはずだ。
 返ってきた答えは、簡単だった。
「死なせたくないから」
 一言。
 言葉が終わったとき、渦巻いていた風が止んだ。
 地上3m程の高さで舞っていた二人の虎族の身体は、空気の支えを失い、黒い大地に叩 き付けられた。

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